6/27 19:00 夕陽の丘side 迷いも俺たちの40代くらいの時に必ず迎える自分への迷う時、そして還暦を超えた時には自分ではなく、周り(親のこと、家族のことなど)に対する迷い、色々な要素がテーマ下に流れていて、そして少しアフターコロナのチョイと社会情勢も感じながら、ミューオタが喜ぶエッセンスをしっかり入れ込んできた辺りが、かなりにくい作品となっていたと思う。 音楽も映画音楽のようなテーマ性を感じながら、エンタメ部分のステージングなど上質なオフブロードウェイに通用する作品だと思った。 俳優たちもそれぞれが素晴らしかったし、母の心情を踊り手がずうっといて表現するところも「やるなー」と感じた。 返信
6/28 金木犀チーム 今日は素敵な時間をありがとうございました。 舞台が近かったので、少しの震えや表情の変化も感じることができて、お屋敷の中の何かになった気分で香子さん家族とまきさんを見守ってました。 責任感と思いが強い人ほど自分の中に抱え込んでどんどん苦しくなっていく状況は、身近なところでも世の中のニュースでも見かける悲しい連鎖だなと思って途中苦しくなりましたが、やわらかい曲と最後の優しい希望であたたかい気持ちになれました。 終演後にもお伝えしましたが、ゼロからお話と舞台を作られる佳田さんの頭の中を見たいです舞台のセットは変わらないのにそれぞれの場面の情景が見えて感動しました! 次の作品も楽しみです 返信
どう言葉にしたら伝えられるのかわからないくらい、今日この舞台を観れた事に感謝の気持ちでいっぱいです。演出効果にはないそうですが、私には確かにキンモクセイの香りがしました。本当にありがとうございました。 返信
土砂降りの中、お昼の回、「夕陽の丘side」を観劇しました。 こんなに近くていいのか!と恐縮する会場。 素晴らしい歌と演技、生演奏。小劇場で観れて感激! POPなナンバーで盛り上がり、心の奥底に隠していた想いの語り歌に涙しました。 どんな家族にも起こりうる事象に、空回りするそれぞれの思いやりに突然現れた女性の事情が、ぐりぐりと胸をえぐってくる作品。 スーパー家政婦さんと混乱をチャラにする次男君。 助けてと言えない母二人と甘えん坊の長男君。 みんな心優しい人たちでした。 返信
迷子は、道に迷った そのままの意味であり、心の迷い 人生の迷いでもあるような物語。 梗概は、説明にある通りだが、ストレートプレイに歌唱シーンを挿入し 敢えてミュージカル風にしたことに違和感を持つか否かで評価が分かれるかもしれない。自分は、前作「AIRSWIMMING-エアスイミング-」も観ており、この団体の特長と好意的に捉えている。 初めて行った劇場-Half Moon Hall-下北沢駅 徒歩数分にある豪邸の地下にあるホール、音響設備が整っているため 使用したのだろう。生演奏が心地良く響き 優しく包み込むようだ。当日パンフにオリジナルのMusical Numbers 16曲が紹介されていたが、それとは別に最初と最後は「家路」(ドヴォルザーク交響曲第9番第2楽章)が流れ哀愁が…。勿論それにともなって照明の諧調を行い印象付ける。 苦悩や悲哀によって自暴自棄に、そんな時に偶然出会った人の縁によって…。この人々の心情の衝突と寄り添いが物語の肝。物語はストレートだが、演出は舞台美術を始め音楽・照明といった舞台技術に工夫を凝らす。全体的に丁寧な創作をしているといった印象だ。 (上演時間1時間40分 休憩なし) 【夕陽の丘side】 追記予定 返信
感想遅くなりました。一体感のある会場でのミュージカルとてもよかった。少し難しい、重い設定、内容だったと思うのですが、そんなに重くならずに楽しく心優しく見られました。歌も素晴らしく本当に優しい時間を過ごせたと思います。ありがとうございました。 返信
精神障害というとてもデリケートな題材 辛い気持ちになるのも覚悟で伺ったのですが、登場人物達の心情がとても丁寧に丁寧に描かれており見入っているうちに辛さをずっと上回る熱い気持ちに 表情豊かなシーンの移り変わりに、ミュージカル(音楽)の力って本当に凄いと思い知りました 腕の確かなシェフが営む隠れ家的なお店で、知る人のみが心地良く舌鼓を打つ事ができる そんな感覚にも似た特別感ある公演だと思いました 返信
金木犀side観劇。箱は思った以上に素敵で立派な建物で外側から見るより中に入るとかなり広く音が響くようになっている。 生演奏ありのミュージカルをやるにはピッタリの箱でした。 難しい問題だが、とても優しい世界に描かれていたのが良かったです。ミュージカル苦手でしたが、歌のパートに自然に入るので心地よかったです。 返信
この会場は本当に住宅街の中の私邸の地下にあります。お金持ちの人が趣味をはるかに超えたものを作っちゃったんでしょうか? ビックリ!の会場の中で、抜群の歌唱力と演技力、ピアノと木管楽器の生演奏、ポジティヴな物語という3拍子揃ったミュージカル作品を見ることが出来て、今日は充実した午後でした。 返信
Musicalは基本的に余り好みではない。何となれば大抵戯曲の内容が余りにも単純化されてしまい、内容的に深みを欠くケースが多いからである。脚本重視の自分はこれが原因で好みではないのだ。然し、今作は例外であった。曲想、歌詞、生演奏が物語の内容に見事に調和し恰も演劇そのものに溶け込んで融和しているかのようであったからである。演劇の醍醐味と音楽の素晴らしさが相互に高め合うような効果を生み出していた。戯曲自体の良さも無論のこと、役者陣の演技も何れ劣らぬ良い出来である。 舞台は、小さなホールだから余計な装飾は一切ない。位置と高さの異なる板をその1枚、1枚が踊り場となるような塩梅で配置されている。それだけであるのが良い。客席は“」”の形で組まれコーナー部分が通路になっている。場面によっては役者の通路ともなる。 登場する演者は都合6名。長男・堅一(東京で勤め人をしているが、母の治療弟の面倒見などで有給休暇を取って帰省中)、香子(母、堅一が大学に入学して東京で暮らすようになって以来精神を病み統合失調症を患っているが、薬を飲むことを拒否しがち。理由は家族を守る為の通信が聞こえなくなるから)真紀(偶々、夕陽の綺麗な場所で母が消え入りそうな様子の真紀を見付け連れ帰った元ホステス、アルコール依存症で息子が1人居るが離婚した夫に子供の親権を奪われた。原因はアルコール依存による育児放棄)次男・智哉(既に体は大きくなって大人並みだが知的障害を持ち知能の発達は小学校1年生程度。言い出したら聞かない、アニメのヒーロー・ジャスティスが大好き)、お手伝い・登紀子(通いのお手伝いさん、極めて有能で気が利く。長い間この家に務めていることとてきぱきと仕事をこなし而も人情の機微を良く弁え母の悩みの受け皿、弟の遊び相手やだ駄々を捏ねた時の調整役すら最も見事にこなす賢婦人。こんな人なので家族全員から信頼され家族同様の扱いを受けている)Voice(母が薬を飲んでいない時、その妄想の具現化を表象する存在、夢幻能の片鱗を感じさせるようなキャラであり、母の幻聴とその苦悩の深さ、異様性をも表現するように見える) さて、物語の粗筋をざっと記しておくと、真紀の居候している大きな家は地域の資産家のお嬢様であった香子の持ち家、夫は香子と智哉2人の世話に疲れ果て堅一を呼び戻す為に「お前のせいで母はこうなった、面倒を見ろ」と連絡した後、失踪。行方不明である。真紀自身は努めて明るく振る舞い、智哉のお気に入りにもなったが、近いうちに5歳になる我が子のことがずっと気掛かりである。因みに息子を連れ去られて半年、自分が病院に搬送されたのは4歳になっていた息子が隣家に連絡をして救急車を呼んでくれたからであった。アルコールを断ち、現在も飲みたい強い欲求に何とか抗っていられるのも息子を思えばこそである。一方堅一は、こんな真紀に心を惹かれている。然し現実問題として薬を飲むことを隙あればスルーする母、スルーすれば幻覚症状に襲われることが分かり切っているにも関わらず油断すればいつ何時スルーするか知れない母と知恵遅れの弟を抱え、家族同然のお手伝いさんを解雇することも憚られる中、経済的合理性からもこの屋敷を売り、自分も東京の勤め先に戻って母と弟も東京で施設に入れることが最適ではないか? との考えにも中々最終決断が下せない。余りにも優しい性格なのだ。そんなこんなで家族全員と居候1人が全員、悩みに打ち沈む中、唯1人日常生活目線で合理性を発揮し先導役を務めるのがお手伝いの登紀子である。今作の成功要因は、この人間関係のバランスにあると同時に登場する人物総てが全き善人であることだ。Voiceは謂わば影の存在なので当然物語レベルでのリアルには含まれずその影を含めた全体の雰囲気をフォローしていると考えて良かろう。 以上に挙げた今作の特徴を用いて何が為され、何が為されなかったかについて検討してみることにする。為されたことは、どの存在も他の存在を浸食しない点にある。即ち完全にヒトとして同等なのである。為されなかったこととは、優生保護法に在った本質、即ち有益・無益、有用・無用といった区別を根拠にした差別が一切無いことだ。現実にはあり得ないかも知れないこのことこそ、今作を優れた作品足らしめた要因であろう。各々の思いが全編を満たし現実には在り得ないユートピアを実現してみせた。これもまた芸術表現の力である。 返信
元々はタモリと同じく「日本人がミュージカルなんて」などという偏見を持っていたというのに幾つもの段階を経て、やがてドハマりするほどの日本人ミュージカル俳優公演とも出逢って久しいのだけれど、まさか一般日本人の人生模様とミュージカルがここまで自然に融合するレベルにまで向上していたなんて!と、素直に驚いてしまう 多重介護を余儀なくされた青年と一人の女性(この女性もある問題を抱えている)の出逢い 息が詰まるほど重い題材でありながら、時にはしっとり抒情的に、時にはエンターテイメント性抜群の躍動感で楽しませるなんて、なんという異色作!そしてなんという傑作!としか言いようがない ドラマ的にもテーマ(介護問題)と真摯に向き合った内容 過剰な表現でなくとも、精神障害を取り巻く避けがたい混乱や(充分な)介護というものがどんなに難しい事なのか鮮やかに伝わってくる 加えてこの難題を乗り切るための芯みたいなものを差し込む事も忘れていない 下北沢の民家エリアに位置する今回の会場、ハーフムーンホール ひっそりとした洋館の佇まい、地下に降りていくと素敵アート空間が拡がっていてビックリ 天井も高く閉塞感は感じないし 照明、音響の設備も完全に備わって空調も程よく効いて快適 とても丁寧に創られた上質な公演に合い相応しい会場だったと思う 舞台スペースもたっぷり(両サイドで奏でるプレイヤーの見せ方も小粋) 生演奏と歌唱、まるで夕陽が差し込む中、柔らかい風が流れていった様でした (金木犀sideを観劇) 返信
千秋楽、金木犀 sideを観劇 CoRichでは好みの異なる皆さんが揃って大絶賛、そして謎の会場Half Moon Hallである。これは行かないわけにはいかない。いやあしかし、個人で地下にこんな施設を作るとは!この十分の1で良いから音楽用の地下室を作りたかったなあ。 …などと演劇とは関係ないことに心を奪われてしまった。そして、こんな気持ちを振り向かせるようなインパクトをこの舞台は持ってはいなかった。ストーリーはありきたりと見るか普遍的と見るか、私は前者。毒がないのが良いと見るか物足りないと見るか、私は後者。歌唱も普通の印象だった。マイクを使うと目の前の人の声が方向不明で聞こえてきて臨場感が失われるのが残念。 返信
6月30日の「夕陽の丘side」を観劇しました。 私は主演の男優さんに御縁があったので、彼の歌を聴くのが第一の目的だったのですが、劇全体も役者さん達の演技もとても素晴らしく、とても感動して楽しいひとときを過ごさせて頂きいて、感謝の気持ちで一杯です。 私は優れた芝居や映画等を観た時は、自分もその劇中の一員のような気分になるのですが、今回の劇も久々にそのような感覚に浸ることが出来ました。 シンプルなセットなのに、役者さん達の素晴らしい演技のお陰で、丘の上に見えたり屋敷の中に見えたり、金木犀のある門扉前?に見えたり。何も違和感がありませんでした。 個人的には主人公の青年とお母様のやりとりが、現実の私自身の私と認知症を発症し始めた母とのやり取りと被り、涙が滲みました。 お母様役の女優さんと、お手伝いのトキコさん訳の女優さん、とても素晴らしかったです。お二人の存在が、劇そのものに安定感と安心感を与え、ガッチリと支えていらしたように感じました。 今でもこの劇のそれぞれの場面をを思い出すと胸が踊り、目が滲みます。 本当に素晴らしい舞台、劇をありがとうございました! 返信
コメント
コメント一覧 (16件)
6/27 19:00 夕陽の丘side 観劇
すてきな時間をありがとうございました!!!
「ミュージカルはこうであってほしいな」が全部あって、素晴らしかったです。観れて本当によかった!
6/27 19:00 夕陽の丘side
迷いも俺たちの40代くらいの時に必ず迎える自分への迷う時、そして還暦を超えた時には自分ではなく、周り(親のこと、家族のことなど)に対する迷い、色々な要素がテーマ下に流れていて、そして少しアフターコロナのチョイと社会情勢も感じながら、ミューオタが喜ぶエッセンスをしっかり入れ込んできた辺りが、かなりにくい作品となっていたと思う。
音楽も映画音楽のようなテーマ性を感じながら、エンタメ部分のステージングなど上質なオフブロードウェイに通用する作品だと思った。
俳優たちもそれぞれが素晴らしかったし、母の心情を踊り手がずうっといて表現するところも「やるなー」と感じた。
6/28 金木犀チーム
今日は素敵な時間をありがとうございました。
舞台が近かったので、少しの震えや表情の変化も感じることができて、お屋敷の中の何かになった気分で香子さん家族とまきさんを見守ってました。
責任感と思いが強い人ほど自分の中に抱え込んでどんどん苦しくなっていく状況は、身近なところでも世の中のニュースでも見かける悲しい連鎖だなと思って途中苦しくなりましたが、やわらかい曲と最後の優しい希望であたたかい気持ちになれました。
終演後にもお伝えしましたが、ゼロからお話と舞台を作られる佳田さんの頭の中を見たいです舞台のセットは変わらないのにそれぞれの場面の情景が見えて感動しました!
次の作品も楽しみです
どう言葉にしたら伝えられるのかわからないくらい、今日この舞台を観れた事に感謝の気持ちでいっぱいです。演出効果にはないそうですが、私には確かにキンモクセイの香りがしました。本当にありがとうございました。
土砂降りの中、お昼の回、「夕陽の丘side」を観劇しました。
こんなに近くていいのか!と恐縮する会場。
素晴らしい歌と演技、生演奏。小劇場で観れて感激!
POPなナンバーで盛り上がり、心の奥底に隠していた想いの語り歌に涙しました。
どんな家族にも起こりうる事象に、空回りするそれぞれの思いやりに突然現れた女性の事情が、ぐりぐりと胸をえぐってくる作品。
スーパー家政婦さんと混乱をチャラにする次男君。
助けてと言えない母二人と甘えん坊の長男君。
みんな心優しい人たちでした。
迷子は、道に迷った そのままの意味であり、心の迷い 人生の迷いでもあるような物語。
梗概は、説明にある通りだが、ストレートプレイに歌唱シーンを挿入し 敢えてミュージカル風にしたことに違和感を持つか否かで評価が分かれるかもしれない。自分は、前作「AIRSWIMMING-エアスイミング-」も観ており、この団体の特長と好意的に捉えている。
初めて行った劇場-Half Moon Hall-下北沢駅 徒歩数分にある豪邸の地下にあるホール、音響設備が整っているため 使用したのだろう。生演奏が心地良く響き 優しく包み込むようだ。当日パンフにオリジナルのMusical Numbers 16曲が紹介されていたが、それとは別に最初と最後は「家路」(ドヴォルザーク交響曲第9番第2楽章)が流れ哀愁が…。勿論それにともなって照明の諧調を行い印象付ける。
苦悩や悲哀によって自暴自棄に、そんな時に偶然出会った人の縁によって…。この人々の心情の衝突と寄り添いが物語の肝。物語はストレートだが、演出は舞台美術を始め音楽・照明といった舞台技術に工夫を凝らす。全体的に丁寧な創作をしているといった印象だ。
(上演時間1時間40分 休憩なし) 【夕陽の丘side】 追記予定
皆 迷いながら人生を生きている 家族愛を見ました
感想遅くなりました。一体感のある会場でのミュージカルとてもよかった。少し難しい、重い設定、内容だったと思うのですが、そんなに重くならずに楽しく心優しく見られました。歌も素晴らしく本当に優しい時間を過ごせたと思います。ありがとうございました。
精神障害というとてもデリケートな題材
辛い気持ちになるのも覚悟で伺ったのですが、登場人物達の心情がとても丁寧に丁寧に描かれており見入っているうちに辛さをずっと上回る熱い気持ちに
表情豊かなシーンの移り変わりに、ミュージカル(音楽)の力って本当に凄いと思い知りました
腕の確かなシェフが営む隠れ家的なお店で、知る人のみが心地良く舌鼓を打つ事ができる
そんな感覚にも似た特別感ある公演だと思いました
金木犀side観劇。箱は思った以上に素敵で立派な建物で外側から見るより中に入るとかなり広く音が響くようになっている。
生演奏ありのミュージカルをやるにはピッタリの箱でした。
難しい問題だが、とても優しい世界に描かれていたのが良かったです。ミュージカル苦手でしたが、歌のパートに自然に入るので心地よかったです。
この会場は本当に住宅街の中の私邸の地下にあります。お金持ちの人が趣味をはるかに超えたものを作っちゃったんでしょうか? ビックリ!の会場の中で、抜群の歌唱力と演技力、ピアノと木管楽器の生演奏、ポジティヴな物語という3拍子揃ったミュージカル作品を見ることが出来て、今日は充実した午後でした。
とても良いステージでした。生ピアノ等の演奏や歌に引き込まれました。ストーリーは重めですが、暗い気持ちではなく、希望をもらえました
Musicalは基本的に余り好みではない。何となれば大抵戯曲の内容が余りにも単純化されてしまい、内容的に深みを欠くケースが多いからである。脚本重視の自分はこれが原因で好みではないのだ。然し、今作は例外であった。曲想、歌詞、生演奏が物語の内容に見事に調和し恰も演劇そのものに溶け込んで融和しているかのようであったからである。演劇の醍醐味と音楽の素晴らしさが相互に高め合うような効果を生み出していた。戯曲自体の良さも無論のこと、役者陣の演技も何れ劣らぬ良い出来である。
舞台は、小さなホールだから余計な装飾は一切ない。位置と高さの異なる板をその1枚、1枚が踊り場となるような塩梅で配置されている。それだけであるのが良い。客席は“」”の形で組まれコーナー部分が通路になっている。場面によっては役者の通路ともなる。
登場する演者は都合6名。長男・堅一(東京で勤め人をしているが、母の治療弟の面倒見などで有給休暇を取って帰省中)、香子(母、堅一が大学に入学して東京で暮らすようになって以来精神を病み統合失調症を患っているが、薬を飲むことを拒否しがち。理由は家族を守る為の通信が聞こえなくなるから)真紀(偶々、夕陽の綺麗な場所で母が消え入りそうな様子の真紀を見付け連れ帰った元ホステス、アルコール依存症で息子が1人居るが離婚した夫に子供の親権を奪われた。原因はアルコール依存による育児放棄)次男・智哉(既に体は大きくなって大人並みだが知的障害を持ち知能の発達は小学校1年生程度。言い出したら聞かない、アニメのヒーロー・ジャスティスが大好き)、お手伝い・登紀子(通いのお手伝いさん、極めて有能で気が利く。長い間この家に務めていることとてきぱきと仕事をこなし而も人情の機微を良く弁え母の悩みの受け皿、弟の遊び相手やだ駄々を捏ねた時の調整役すら最も見事にこなす賢婦人。こんな人なので家族全員から信頼され家族同様の扱いを受けている)Voice(母が薬を飲んでいない時、その妄想の具現化を表象する存在、夢幻能の片鱗を感じさせるようなキャラであり、母の幻聴とその苦悩の深さ、異様性をも表現するように見える)
さて、物語の粗筋をざっと記しておくと、真紀の居候している大きな家は地域の資産家のお嬢様であった香子の持ち家、夫は香子と智哉2人の世話に疲れ果て堅一を呼び戻す為に「お前のせいで母はこうなった、面倒を見ろ」と連絡した後、失踪。行方不明である。真紀自身は努めて明るく振る舞い、智哉のお気に入りにもなったが、近いうちに5歳になる我が子のことがずっと気掛かりである。因みに息子を連れ去られて半年、自分が病院に搬送されたのは4歳になっていた息子が隣家に連絡をして救急車を呼んでくれたからであった。アルコールを断ち、現在も飲みたい強い欲求に何とか抗っていられるのも息子を思えばこそである。一方堅一は、こんな真紀に心を惹かれている。然し現実問題として薬を飲むことを隙あればスルーする母、スルーすれば幻覚症状に襲われることが分かり切っているにも関わらず油断すればいつ何時スルーするか知れない母と知恵遅れの弟を抱え、家族同然のお手伝いさんを解雇することも憚られる中、経済的合理性からもこの屋敷を売り、自分も東京の勤め先に戻って母と弟も東京で施設に入れることが最適ではないか? との考えにも中々最終決断が下せない。余りにも優しい性格なのだ。そんなこんなで家族全員と居候1人が全員、悩みに打ち沈む中、唯1人日常生活目線で合理性を発揮し先導役を務めるのがお手伝いの登紀子である。今作の成功要因は、この人間関係のバランスにあると同時に登場する人物総てが全き善人であることだ。Voiceは謂わば影の存在なので当然物語レベルでのリアルには含まれずその影を含めた全体の雰囲気をフォローしていると考えて良かろう。
以上に挙げた今作の特徴を用いて何が為され、何が為されなかったかについて検討してみることにする。為されたことは、どの存在も他の存在を浸食しない点にある。即ち完全にヒトとして同等なのである。為されなかったこととは、優生保護法に在った本質、即ち有益・無益、有用・無用といった区別を根拠にした差別が一切無いことだ。現実にはあり得ないかも知れないこのことこそ、今作を優れた作品足らしめた要因であろう。各々の思いが全編を満たし現実には在り得ないユートピアを実現してみせた。これもまた芸術表現の力である。
元々はタモリと同じく「日本人がミュージカルなんて」などという偏見を持っていたというのに幾つもの段階を経て、やがてドハマりするほどの日本人ミュージカル俳優公演とも出逢って久しいのだけれど、まさか一般日本人の人生模様とミュージカルがここまで自然に融合するレベルにまで向上していたなんて!と、素直に驚いてしまう
多重介護を余儀なくされた青年と一人の女性(この女性もある問題を抱えている)の出逢い
息が詰まるほど重い題材でありながら、時にはしっとり抒情的に、時にはエンターテイメント性抜群の躍動感で楽しませるなんて、なんという異色作!そしてなんという傑作!としか言いようがない
ドラマ的にもテーマ(介護問題)と真摯に向き合った内容
過剰な表現でなくとも、精神障害を取り巻く避けがたい混乱や(充分な)介護というものがどんなに難しい事なのか鮮やかに伝わってくる
加えてこの難題を乗り切るための芯みたいなものを差し込む事も忘れていない
下北沢の民家エリアに位置する今回の会場、ハーフムーンホール
ひっそりとした洋館の佇まい、地下に降りていくと素敵アート空間が拡がっていてビックリ
天井も高く閉塞感は感じないし 照明、音響の設備も完全に備わって空調も程よく効いて快適
とても丁寧に創られた上質な公演に合い相応しい会場だったと思う
舞台スペースもたっぷり(両サイドで奏でるプレイヤーの見せ方も小粋)
生演奏と歌唱、まるで夕陽が差し込む中、柔らかい風が流れていった様でした
(金木犀sideを観劇)
千秋楽、金木犀 sideを観劇
CoRichでは好みの異なる皆さんが揃って大絶賛、そして謎の会場Half Moon Hallである。これは行かないわけにはいかない。いやあしかし、個人で地下にこんな施設を作るとは!この十分の1で良いから音楽用の地下室を作りたかったなあ。
…などと演劇とは関係ないことに心を奪われてしまった。そして、こんな気持ちを振り向かせるようなインパクトをこの舞台は持ってはいなかった。ストーリーはありきたりと見るか普遍的と見るか、私は前者。毒がないのが良いと見るか物足りないと見るか、私は後者。歌唱も普通の印象だった。マイクを使うと目の前の人の声が方向不明で聞こえてきて臨場感が失われるのが残念。
6月30日の「夕陽の丘side」を観劇しました。
私は主演の男優さんに御縁があったので、彼の歌を聴くのが第一の目的だったのですが、劇全体も役者さん達の演技もとても素晴らしく、とても感動して楽しいひとときを過ごさせて頂きいて、感謝の気持ちで一杯です。
私は優れた芝居や映画等を観た時は、自分もその劇中の一員のような気分になるのですが、今回の劇も久々にそのような感覚に浸ることが出来ました。
シンプルなセットなのに、役者さん達の素晴らしい演技のお陰で、丘の上に見えたり屋敷の中に見えたり、金木犀のある門扉前?に見えたり。何も違和感がありませんでした。
個人的には主人公の青年とお母様のやりとりが、現実の私自身の私と認知症を発症し始めた母とのやり取りと被り、涙が滲みました。
お母様役の女優さんと、お手伝いのトキコさん訳の女優さん、とても素晴らしかったです。お二人の存在が、劇そのものに安定感と安心感を与え、ガッチリと支えていらしたように感じました。
今でもこの劇のそれぞれの場面をを思い出すと胸が踊り、目が滲みます。
本当に素晴らしい舞台、劇をありがとうございました!